大判・小判の紹介

安土桃山時代から始まり、江戸時代を通じて作られた大判(おおばん)や小判(こばん)と呼ばれる金貨。最初の大判は1588年(天正16年)「豊臣秀吉」によって作られました。そして小判は、1601年(慶長6年)「徳川家康」が豊臣秀吉の許可を得て大判の形式に倣い鋳造したのが始まりと言われています。大判・小判は鋳造年代によって様々な種類があり、その当時の社会に対する幕府の政策が反映されています。

大判小判の歴史

1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いで勝利した「徳川家康」は、徳川幕府開府に先立ち、1601年(慶長6年)頃から慶長大判(けいちょうおおばん)・慶長小判(けいちょうこばん)を含む「慶長金銀」(けいちょうきんぎん)という全国統一の通貨の鋳造を開始。日本の貨幣制度を整備しました。

徳川家康の命で幕府の金貨鋳造を請け負ったのは、室町時代から京の彫金師として活躍し、すでに「豊臣秀吉」の大判作りを手掛けていた後藤家です。

京で大判座を開き、のちに1715年(正徳5年)には江戸へ移り、京橋(現在の東京都中央区京橋)に幕府から屋敷を拝領して明治維新まで鋳造を続けました。

大判の特徴

大判とは16世紀以降に日本で作られた金貨の一種です。金の塊を叩いたり延ばしたりして作られた貨幣の一種で、大型・楕円形のものを指します。
大判にもさまざまな種類がありますが、有名なものは以下のとおりです。

  • 天保(てんぽう)大判
  • 慶長大判

天保大判とは、天保9年(1838年)から万延元年(1860年)の間に鋳造された大判の総称です。大判の大きさは、縦143ミリ、幅84ミリ、重さ約165gのものが一般的となります。
約22年間で1,887枚のみ鋳造されており、その希少性の高さから、古銭市場においては100万円以上の値で取引されています。
ほどにもなります。実際に目にしてみますと、非常にインパクトがあることがわかります。

小判の特徴

小判は、天正時代から江戸時代にかけて、日本国内で使われていた貨幣の一種です。大判と同じように、金の塊を叩いたり延ばしたりすることで作られていますが、大判よりも小さいという特徴があります。小判にも様々な種類があり、以下はその一例となります。。

•駿河墨書小判(するがすみがきこばん)

•武蔵墨書小判(むさしすみがきこばん)

•慶長小判

•元禄(げんろく)小判

•宝永(ほうえい)小判

大判よりも流通数が多いため、意外なところから発見されるケースも少なくありません。
中でもコレクター人気が高いのが慶長小判です。慶長小判は、慶長6年(1601円)に江戸幕府が発行した小判の一種として知られています。
通常の小判よりも金保有量が多く、サイズも大きいのが特徴です。

慶長小判は、表面に刻まれた“茣蓙目(ござめ)”から鋳造時期を把握できます。慶長初期の茣蓙目(ござめ)は線が荒く、後期に鋳造されたものは線が細い特徴があります。
これらは7:3の割合で現存が確認されており、茣蓙目(ござめ)の線が細い後期ものほど希少価値が高くなっています。いずれも100万円以上の値で取引される大変貴重な品です。

GOLD(金)PLATINUM(プラチナ)
前日比-8円/g前日比-28円/g
金種買取価格金種買取価格
K24IG14,172円/gPt1000IG4,842円/g
K2414,027円/gPt10004,791円/g
K2212,797円/gPt9504,533円/g
K21.612,508円/gPt9004,318円/g
K2011,538円/gPt8504,060円/g
K1810,540円/g
K147,949円/g
K105,489円/g
K94,764円/g

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